セカンドキャリアの向こう側

50歳から第二のキャリア探索の旅に出ました。いまだ迷走中。ライブドアブログから引っ越してきました。

美的オフィスから学んだこと

先日、現在お仕事を受注しているとある組織を訪問した。仕事は100%在宅でできる内容なのだが、月に数回はオフィスを訪ねることになっている。昼休みの時間帯に誰もいないオーナー自慢の"studio"をふらついていたら、インスピレーションが降りてきた。

この場所はオーナー先生の「作品」であり、そこで働く人々は彼にとっては「作品を構成する一要素」または作品を維持管理するための、美術館の照明器具か空調設備みたいなものなのだ、と。一外注業者の私なんぞは空調設備どころか、額縁のホコリを拭き取るワイパーの使い捨てシートみたいな存在なのかもしれない。そう思ったら、今までの様々な出来事に妙に納得できてしまったのだった。

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一般人でもある程度のクリエイティビティを発揮して作品を制作した経験のある方ならイメージできると思う。他人が見たらどんなに下手で理解しがたい作品だったとしても、作者本人にとっては必ずテーマやそれを表現するための構図・色彩・画材等の構成要素があって、その作品には作者が苦しんで作り上げた一つの主観的世界が存在しているのである。それをどのように受け止めるのかは受け手次第であり、時には億の単位で取引されることもあれば、そのまま何の経済的価値も生まずホコリを被って放置されることもあるかもしれない。しかし作者にとっては唯一無二の価値があり、多少の改善余地を感じつつも精一杯向き合った自分の人生の一部、生きた証なのである。

つまりオーナー先生にとってあのstudioはまさに自分の分身であり、その美観について非常に敏感なのも頷ける。無垢の床材、彩りを添える各種の植栽、特殊な加工が施された金属製の壁面やドア。薄暗い廊下に設えたデザイン性の高い椅子。自動演奏機能のついたグランドピアノ。その他オーナー先生のお好きな置物や洋書が「こだわってます!」と強烈に主張しつつあちこちに配置されている。海外での生活が長かった方なので、外国からの訪問客にこだわりのオフィスを披露したい気持ちが強いのだろうと想像する。

こんな素晴らしいオフィスの維持管理にはそれなりにコストも手間も掛かるのは常なのだが、それにはできるだけコストをかけたくないのは経営者なら当然で、そこは普通の中小企業の社長バリバリの価値観が顔を出す。床の無垢材については外注せずになぜか社員が年に1回大掃除と称して水拭きを行うのみ。植栽の水やりや簡単な拭き掃除はアルバイト社員にお願いしているようだが、専門の清掃業者を入れていない。当然ながら5年も経てば床は傷だらけ、特殊コーティングのドアには皮脂が酸化してしまったような跡がベタベタと付いてしまい、拭いても消えない。コスト捻出のためレンタルスペースとして貸出を始めたせいで、劣化が加速しているように思われる。ピアノについては、今まで誰かが弾いている姿を一度も見たことがなく調律を依頼したという話も聞いたことがない。日々働いている正社員の方にとっては色々と思うところはあるようだが、とにかくオーナー先生の思い入れは深くて強く、口出しできないのだそうだ。

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人間の理想や思いなど、物理・化学法則の前では何の役にも立たないことを、私はこの場所から学んだ。たぶんこの先も経年劣化が進み、10年経過する頃には補修・撤去どちらにしても莫大な見積書を前に呆然とすることだろう。オーナー先生の命の灯火と共にあのオフィスも消えていく未来が私には見えたような気がした。